チャレンジ川口町検定?(予習)           
■八王子市の町名と面積           
八王子市の面積は、186.31㎢あります。           
住居表示未実施町で面積が広い町のベスト5           
1番 上恩方町 22.868㎢           
2番 裏高尾町 9.247㎢        
3番 上川町 7.941㎢        
4番 小津町 6.456㎢        
5番 川口町 5.007㎢        
八王子市の町名と面積一覧|八王子市
■八王子市の人口統計 平成24年6月現在
地 域 世帯数 人口    
総数    
八王子市 249,273 279,519 275,952 555,471    
川口町 5,184 6,293 6,154 12,447    
犬目町 3,019 3,157 3,231 6,388    
上川町 768 855 883 1,738    
                      
80歳以上、年齢別人口 80~84 85~89 90~94 95~99 100~
八王子市 総数 15,936 8,826 3,591 1,083 172
6,541 3,040 868 214 24
9,395 5,786 2,723 869 148
川口町 合計 329 142 73 32 4
143 53 15 8 0
186 89 58 24 4
上川町 合計 76 56 31 8 4
32 16 6 1 1
44 40 25 7 3
八王子市の人口統計|八王子市
■八王子を流れる一級河川
多摩川 浅川 秋川 案内川 大栗川 大沢川 大田川 小津川 川口川
御霊谷川 城山川 醍醐川 兵衛川 南浅川 谷地川 山入川 山田川 湯殿川
(浅 川)    
  陣馬山や堂所山に源を発し東へ流れ、日野市石田付近で多摩川と合流する。
小仏峠を源流とする南浅川の合流地点より上流を通称として北浅川と呼ぶ。
 浅川の支流…                         
山入川 小津川 滝沢川 大沢川 城山川 御霊谷川 南浅川 川口川 湯殿川
山田川 兵衛川 寺田川
■川口地区の名所            
(今熊山)
今熊山は、標高505㍍で山頂まで徒歩約1時間かかります。
ツバキ、モミ、ブナなどの貴重な植生を有し、春にはミツバツツジが美しく
山麓を彩り、野草も多く見られます。
近くの金剛の滝は落差約10㍍で渓谷にはヒダサンショウウオ、ナガレタゴガエル
などが生息しています。
■川口川
 川口川は八王子市西端の今熊山を源し、中野上町で浅川と合流する一級河川です。
明治橋から川口橋は、川口川のほぼ中間に位置し秋川街道に沿った区間です。
川口町と犬目町の住宅地を貫通しながら、川の両端には僅かながら田畑を残した
田園風景があり、ここではカルガモの親子、カワセミ、キセキレイなど多くの野鳥が
見られます。
■川口川に架かる橋
 浅川へ合流するまで、川口川に架かる橋は全部で52。 今熊神社の上流に4ケ所橋
があったが現在は全部取り外され無くなっている。 また、羽生橋上流には6ケ所橋が
架かっているが橋の名前・名称は不明のようです。
07羽生橋 08羽生入橋 09糀谷橋 10牛頭橋 11久保橋 12東久保橋 13梅沢橋
14田守橋 15田守神社の橋 16重忠橋 17下田守橋 18新関戸橋 19関戸橋
20上川橋 21日向橋 22釜の沢橋 23東釜の沢橋 24十内入橋 25圏央道の橋 26滝ノ沢橋 36唐犬橋
27西田橋 28川口橋 29片井戸橋 30観音橋 31川中新橋 32宮田橋 33山王橋
34堀口橋 35駒形橋 36唐犬橋 37高尾橋 38大正橋 39明治橋 40佐貫橋
41下犬目橋 42清水公園橋 43新清水橋 44清水橋 45中央高速道路 46仲田橋
47原屋敷橋 48新山王橋 49山王橋 50咳守橋 51川口川橋 52中野橋
■川口地区町会自治会連合会の紹介
 川口地区町会自治会連合会は、市の北西部地域に位置し、秋川街道が幹線道路で
左右に点在する18町会からなる連合会です。
(町会・自治会) 世帯数8,133
楢原東部町会 楢原西部町会 犬目町会 川口町東部町会 川口町中部町会 川口町西部町会 唐松町会
上川東部町会 上川中部町会 上川西部町会 美山町会 美山町縄切地区会 七二三町会 楢原町郵睦会
堀口自治会 笹の原住宅自治会 川口南町会 唐松住宅自治会
■市民センター 川口やまゆり館(川口町3838)
 生涯学習センター、図書館、市民センターが集合した市の複合施設。
平成9年に開館しました 数ある市民センターの中でも、とてもすてきな建物です。
八王子八十八景の78番目、「建築物の景」に選ばれています。
【お問い合せ先電話番号】
    ・生涯学習センター川口分館 042-654-8450
    ・川口図書館 042-654-8448
    ・川口市民センター 042-654-0722
■八王子八十八景に選出された川口地区の景
  みどり・公園の景 02.今熊山
  水辺の景 23.今熊山・金剛の滝
  歴史・文化の景 33.安養寺
  建築物の景 78.やまゆり館
■川口郷土史
縄文式土器
 川口は縄文文化の宝庫ともいわれ、ほぼ全域から縄文時代の遺物が出土しています。
遺物としては住居跡のほか土器、石斧、石鏃などおびただしい数にのぼっています。
勝坂式土器…
 関東地方から中部地方にかけて出土する縄文時代中期の代表的どきです。
上川、上ノ原の台地より出土したもので、この地に楢原、中原(犬目)、宮田(川口町中部)
などの遺跡が著名です。特に宮田台地より出土した土偶(母子像)は有名で国立博物館に
展示されています。
川口兵庫介館址
 川口氏は、平安時代末期にこの地についた藤原氏が始まりと伝えられ、鎌倉幕府の
開府に貢献しました。また、中世川口の地頭として繁栄し鳥栖寺(円福寺)の再興や
長楽寺薬師如来像の寄進など行いました。
 川口小学校の南側台地は、調井台と呼ばれ川口氏の館があり、入り口には榎木の
大木があったとされ、地名が残っています。
昭和56年6月、地元の人々によって川口兵庫介の館址に記念碑が建立されました。
円福寺 八王子市上川町2222
宗派・山号: 真言宗豊山派 熊野山沢泉院
 円福寺の開山は智賢上人 創建承久4年(1222)、開基は源実朝と伝えられています。
古くは鳥栖観音堂の別当で、鳥栖寺と呼ばれていました。
(円福寺の大般若経)
 市内宝生寺観音堂において、川口郷の地頭であった川口兵庫介の発願により同寺の
僧侶たちによって写経され川口の鳥栖寺に寄進されましたが、天正18年(1590)の豊臣
秀吉の小田原攻めの際に寺が焼失し、経典は円福寺に移されました。
北村透谷と秋山國三郎の幻境の碑 上川町東部会館 
 北村透谷は、川口森下の住人の秋山國三郎と親交があり、幾度かこの川口に足を運び
幻境の地と呼び慕いました。明治25年7月27日、7年ぶりに秋山國三郎宅を訪れた透谷は、
紀行文「三日幻境」を女學雑誌325・327號に書いています。透谷と國三郎の交遊を後世
に伝えるため、昭和52年に地元川口地区の有志によって「幻境碑」が建立されました。
(北村透谷)
 (本名門太郎、1868~1894)は小田原出身。明治16年東京専門学校政治科に入学。 幻境
折から自由民権運動の嵐の中に身をおくが、大井憲太郎一派の行動についていけず挫折。    秋山國三郎
苦悩と模索の中で自由律叙事詩風の『楚囚之詩』を自費出版するが、自信を喪失し破棄し    北村透谷
た。のち「女学雑誌」等で評論活動を行い、26年には島崎藤村らと「文学界」を創刊するが、  親交の地
疲れ切って27年5月、25歳で縊死。あまりにも早く近代的自我に目覚めた者の悲劇であった。  
(秋山國三郎)  
 川口村村会議員で自由民権運動家として活躍。文学と武術に秀で、自由思想を  
愛し多くの人から敬慕された。  
秋山國三郎の墓は上川町の円福寺にある。  
河井宗兵衛頌德碑 八王子市川口町2011(川口川沿い)
 河井宗兵衛は嘉永6年(1853)下川口村堀口の生まれで、川口町きっての篤農家でした。
明治時代の麦作は主として裸麦でしたが、本来温暖な西日本の水田裏作に多く栽培されて
いた裸麦は、関東の気候には向いていませんでした。河井宗兵衛は当時この地方で栽培さ
れていた「豊年はだか」という品種を改良して耐寒性に優れた「宗兵衛裸」を誕生させました。
 最盛期の昭和10年には東京府の裸麦栽培面積の42%を占め、昭和17年には東京の
 奨励品種に採用されました。
 
 
(今熊神社)
今熊神社は、今熊山の麓に位置します。
 第27代安閑天皇の妃宮橘の仲皇女が浪花路で行方不明になられた時、天皇の
夢枕に「武蔵国今熊山の詣で祈願すれば妃の居所はわかる」とのお告げがあり、
無事に見つかったと伝わっています。そのため江戸時代より「関東よばわり山」と
いわれ行方不明者を探す人々の信仰を集め、関東有数の霊山として繁栄した
歴史を持っています。
 元治元年(1864年)正月、火災により社殿焼失、その後再建され、権現造りの
美しい遙拝殿は川口の総鎮守にふさわしいものです。
今熊神社に伝わる伝統獅子舞は、昭和35年八王子市の無形文化財に指定されています。
■川口郷土史
(長福寺) 八王子市川口町2722
 開山は江戸時代の寛永二年(1625年)に没した勝恵法印といわれているが、
創建年代は明らかでない。当時は裏山にある鳥栖観音堂の別当寺であた。
安置仏は行基作の千手観音である。本堂に向かい左側には白萩堂があり、
本尊「子育観音」と呼ばれる聖観音像が安置され、観音様の裏側に「寛永年間、
伊達綱宗公作」と書かれている。世に言う伊達騒動の殿様、綱宗公作の三体の
内の一体であることがわかる。家宝とされていた片倉家から遠縁にあたる当時
の住職に譲られた由緒ある観音像である。
長福寺には、2500株もの萩が植えられ、萩霊園とよばれる広大な墓地に
そこかしこ萩が咲きます。    
(法連寺) 八王子市川口町2472
 嘉元二年(1304年)の創立と伝えられる時宗遊行派の寺で、ご本尊の
阿弥陀如来像に“河口はやと”の名を記す胎内墨書銘があります。
 平成10年現在の本堂、客間が完成する。
(長楽寺) 八王子市川口町335    
 文治三年(1187年)明玄により開山されたと伝えられます。
ご本尊の薬師如来像は応永年間に領主川口兵庫介幸季が寄進。八王子地区で
も最古の仏像に属し、昔より“別所の薬師様”として親しまれてきました。
精巧な寄木造りで光背と蓮台をそなえています。鎌倉時代中期の作と認定され、
東京都の重要文化財に指定されています。
(塩野倉之助)        
 明治14年(1881年)に大蔵卿(大蔵大臣)松方正義がとったデフレ対策により、
米価、生糸の価格は大きく下落した。これによって、困窮した農民達が武装蜂起
した秩父事件(1884年)をはじめ、自由民権運動の影響を受けて多摩地区でも
多数の政治活動が起こっている。 川口困民党は、豪農で村会議員でもあった
塩野倉之助が農民たちの訴えを聞いて明治17年に結成した。彼の元には農民
たちから負債の返済延期や利子の減免などの交渉を依頼する委任状が集めら
れ、積み上げるとその高さは4尺(1.2㍍)にもなったという。官憲の弾圧により
ただちに書類は押収され、200人以上の農民が逮捕拘留された。塩野自身の
判決は兇徒嘯衆罪で軽懲役6年であった。
 塩野家の菩提寺である安養寺の境内には、昭和29年に建立された困民党首領
塩野倉之助碑があります。
■川口商店会                         
 会員相互の緊密なる連携のもとに八王子市川口地区並びに近郊商店街として
一層向上発展を期すると共に、会員各自の親睦と繁栄を計る事を目的としています。
(ふれあいまつり)                      
 商店会の最も大きいイベント事業として、毎年10月体育の日にやまゆり館で開催
しています。今年で15回目を迎え、スタッフ一同記念事業として一生懸命とり組んで
います。豪華賞品もご用意していますので、是非ご参加ください。
(住まいる会)                     
 川口地区の皆様が住宅の建替え・リフォーム工事等を安心して施行できますよう
地元の若い職人が集まり、立ち上げた会です。住宅関連工事につきましては、
確かな技術と信頼の「住まいる会」におまかせください。 (第14回、植松しのぶ)